「七つめの短編」
上のバトンを確認してから、何気なくログも読んでみたのですが。
早速ですが大型書店で散財してきました(にこにこ
- 『ある日、爆弾がおちてきて』
- 『魔王』
- 『死神の精度』
- 『夏と花火と私の死体』
- 『暗いところで待ち合わせ』
- 『ZOO』
……ものの見事に勧めていただいたラインナップが揃っているわけですが。
残念ながら「ネコとクラリネットふき」は在庫切れでした。勧めて下さった方ごめんなさい;;『暗いところで〜』は、文庫として再販されたものを無事発見しました。自分は、文庫よりもハードカバーの方が、本棚に並べた時に重厚感があるので好きなのですが、乙一の本は殆ど文庫になっているらしく、ハードカバーはあまり置いていないと言われた。ショボーン。
それにしても装丁を見る限り、あまりほのぼのでは無い気配(いや、買ってしまいましたけど
まずは上二つ読了致しました。残りは追って順々に。
とりあえず今は某5××さんと「七つめの短編」について思う様語り合いたい次第で御座います。
ちょっと減らしてみますね。
早速ですが大型書店で散財してきました(にこにこ
(中略)
とりあえず今は某5××さんと「七つめの短編」について思う様語り合いたい次第で御座います。
もうちょっと減らしてみますね。
(中略)
とりあえず今は某5××さんと「七つめの短編」について思う様語り合いたい次第で御座います。
とりあえず今は某5××さんと「七つめの短編」について思う様語り合いたい次第で御座います。
某5××さんってもしかして私のことですかあああああああああああああああああああああっ?!(発狂で絶叫
はあはあ……すいません。また取り乱してしまいました。まさかかずいさんが「ある日〜」を買っていたとは思いもせず、気がついたら三日もスルーしてました。今三日前の自分を電気椅子に送りたい(でもそうすると自分が死ぬのであきらめる)気分を抑えながら、これを書いています。
ここから先は以前にもまして激しいネタバレの嵐ですので、未読の方のために「続きを読む」で隠しています。読みたいという方はどうぞ。
「むかし、爆弾がおちてきて」のどこに私が激しく感動したのかというと、そのどうにもならなさです。私は物語中の「じいちゃん」の気持ちになって考えてみました。
目の前には自分の最愛の彼女がいる。駆け落ちの約束までした仲ですから、それはもうどれぐらいの仲か容易に想像がつきます。一九四×年の八月六日、二人は一緒にどこかへ駆け落ちをするはずだったのです。彼女はじいちゃんを待って一人立っていました。
しかし、じいちゃんは一瞬だけためらってしまいました。無理もありません。駆け落ちです。両方の家を捨てることになります。故郷には二度と帰ってこれません。ためらうのはむしろ自然といえるでしょう。
そしてじいちゃんが電車に乗ったとき、爆弾が投下されました。
じいちゃんは電車を一本遅らせた故に命拾いしました。ためらいが、彼の命を救ったのです。
しかしそのためらいが、二人を永遠に引き裂きました。
彼女は生きたまま「時間」に閉じこめられ、出るための手段は一つも提供されませんでした。
爆心地の真ん中で一人手をかざして不安げに空を見上げ、自分のことを待ち続けている彼女の姿を見たとき、じいちゃんはどんな思いに駆られたでしょうか。自分のためらいが彼女と自分を永遠に引き裂いたことを、どのような思いで受け止めたのでしょうか。
私はここで胸が詰まりました。私の見てきた中で、これはこの世で一番悲しい別れ方です。お互いに生きているのに、声をかけることも、相手に自分がいると気づかせることもできない。もちろん、相手を助け出すことなんてできやしない。しかもそれが、自分の責任だとしたら、果たして正常でいられるでしょうか。
相手は悠久の時を生きています。自分は限りある時を生きています。人は死ねば魂になると私は思っています。そして、魂になればあらゆる束縛から解放され、会いたい人に好きなだけ会えるものだと思っています。
しかし、仮に自分が死んだとしても、相手は紛れもなく生きています。自分が死んでからもなお、再会することを許されないのです。私はこの部分で圧倒的な絶望を感じました。死よりもつらい別れがあるとすれば、きっとこれしかありません。
たった22ページの中に凝縮された「絶望」に、私は精神がおかしくなるほどの衝撃を受けました。
ラスト、主人公の少年が「時」の中に飛び込んだことが、なぜだか理由はわかりませんが、とにかく少しだけ「救い」に感じました。二人のこれからを考えると、実にいろいろな考えが思い浮かんできます。
私の考えすぎによる部分も大きいとは思います。「魂」のくだりは、完全に私の想像でしかありません。しかし逆に言えば、そこまで想像させてしまうだけの力がある作品だともとれます。
これとは直接関係はありませんが、作者の方が私にこんな言葉をくれました。掲示板で感想を書いたとき、返信としてつけてくださったものです。
フルハシ > どうもどうも。「感動する(させる)力」みたいなものは、本とか作者より、むしろ読む人の中にあるのだと思います。だもんで、喜んでもらえると、こちらとしてもありがたいことだなあと、ハイ。
読者に感動を喚起し、想像を呼び起こさせるのは、小説そのものではなく、読者の内面にあるというこの言葉は、私にとって並はずれた重さがありました。それと同時に、今まで見えなかったものが急に見えてくるような気がしました。
小手先の技法で感動させるのではなく、読者の内面に訴えかけるような作品をかけるよう、努力していきたい所存です。
長くなりましたが、以上です。かずいさん、遅れてしまって申し訳ありません。お返事をくだされば幸いです。