裸の王様

かずいさんの「フルスピード!」第二十六話(こちら)を読みました。そして、感じたことを書きます。

えー、どうしましょう。よく分かりませんが、自分の中にあった自信がすごい勢いでしぼんでいってます。それほどまでに、かずいさんの「フルスピード!」は「上手い」んですよ。今自分が書いている「Enable」には絶対の自信を持っていたはずなのですが、それがなんかこうものすごく小さな自信に感じられるというか、バッサリ言うと俺は裸の王様だったのかというか。

とりあえずお互いの小説の一段落を取り出して、私が感じたことを書いていこうと思います。

まず、「Enable」。適当に、第三話からウツギの心情を描いた部分を。

ウツギは真剣に悩んでいた。先ほど届いたメールからは、もはやこれ以上先方とのやり取りを続けることは不可能に思われた。相手方はひどく興奮しており、恐らくかなりの時間を置かないとまともに話し合いをすることもままならないであろう。助手もメールの文面を読み、話し合いが続行不可能になったことを悟った。そしてウツギと共に、深いため息をついた。

次に、かずいさんの「フルスピード!」。上で挙げた第二十六話の一場面。

「居たぁっ!!! ………ラル、あの人達まとめてコッチコチの凍り漬けにしちゃいなさいっ!!!」
「ミャアアァアッ!」
閉められていた扉を凄い勢いで開くや否や、部屋の中に居るヨウタ達を指差してシータは絶叫した。
ラルが裂くように爪を振ると、猛烈な吹雪が舞い起きた。雪と氷が白い津波のようになって、天井と壁を氷結させながら標的に突き進む。
……しとめた、とシータが思った瞬間、彼らの姿はゆらりと消えた。同時に頭上から真空の刃が落ちてきて、ラルの背を穿つ。

引用はここまでです。「Enable」と「フルスピード!」は何が違い、何が586にショックを与えたのかを、自分なりに分析してみます。

そもそもジャンルが違う

個人的な分け方になってしまって大変恐縮なんですけど、個人的には「Enable」は他の一般的なポケモン二次創作小説とはちょっと違ったジャンルに属していると思っています。言葉的には合っているかどうか分からないんですが、いわゆる「サスペンスタッチ」な作品ではないでしょうか。その割には今書いてる部分がサスペンスとは限界までかけ離れまくった冒険活劇(密かにすごいネタバレになってるけどとりあえず前進制圧あるのみ)なんですが、物語を通してのイメージはそんな感じです。そんな感じ。

ではかずいさんの「フルスピード!」はどうか。これはもう最高に良い意味で、ストレートな「ポケモン小説」に他ならないと思います。いやもうマジで。バトルシーンは耳が熱くなるほどかっこいいですし、キャラクター一人一人の台詞回しにも鬼気迫るものを感じられる。それでいて、常にどこか「緊迫感」を漂わせることに成功している。「マサポケ」で多数の小説を濫読してきた私ですが、読んでいてここまで緊張させてくれる作品は珍しいと思いました。本当に。

表現技法

分かりました。ここです。ここが私のショッキングポイント(造語)だったんです。私586と、「フルスピード!」作者のかずいさんの間には、表現技法の壁という非常に高い壁があったんです。私は何も考えずにいきなり「フルスピード!」を読んでしまったから、その壁にモロに激突してしまったわけなんです。

例えば、このシーン。

瞳を介して、ずんと重いものが飛び込んできた気がした。
……見上げた瓦屋根の上に、逆光のシルエット。黒い輪郭の中に、真っ赤な眼光が強烈に輝いて見えた。
たくましい四足の体を、黒い稲妻模様の走る山吹色の毛皮が覆っていた。
下向きに伸びた二本の大きな牙。……沸き立つ鉛色の雷雲を背負った、荒々しい獣。

整った文章もさることながら、「黒い」「真っ赤な」「黒い」「山吹色」「鉛色」と、情景を思い浮かべる上でもっとも重要な情報である「色」の情報を積極的に出し、読者に容易にその光景を思い浮かべさせることに成功しています。

えー、難しいことを書きましたが、情景描写に関しては完全に負けましたと言わせてください。こんなスゴイのを見せられたら、むしろ喜んで敗北宣言の一つでもしたくなります。敗北を認められないままズルズルいくほうが、よっぽど問題です。いや、私の中ではなんですけどね。

会話の使い方

さて、「Enable」と「フルスピード!」の違いはまだあります。次に気付いたのが、「会話の後に続くナレーション」です。

お約束どおり、まず「Enable」の場合。

「博士。やはりダメでしたか」
「……ダメみたいだね」

二人はやるせない会話を交わした。彼らはどうにか話し合いによって決着をつけたかったのであるが、それは不可能になってしまった。彼らとて最初から先方を説得できる自信は無かったが、実際にできないとわかるとやはりつらいものがあった。

「フルスピード!」の場合。

「なんでお前みたいな普通の子供が、ロケット団なんかにいるんだ?」

途端に怒ったような顔で自分を睨んだシータの眼光の変化に、ヨウタは気が付いて首を傾げた。
ほんの先刻まで舞い落ちる雪のように気侭で、捉え様の無かった青い瞳の中に、今や妙に真摯な含蓄があった。

「Enable」が、会話の後に「複数の人間の間で交わされた会話が意味するところ」が続くことが多いのに対し、「フルスピード!」は、会話の後に「会話が終わった直後の人間の状態や心理」が続くことが多いような気がするのです。これが「フルスピード!」全体に、すさまじいまでの緊張感と臨場感を持たせているのだと思います。

ただ、これはあくまでも傾向です。実際「Enable」でも、上で挙げた「フルスピード!」のようなナレーションが続くことはよくあります。

「バトル」というモノの捉え方

書きながら気付いたんですが、「Enable」と「フルスピード!」、ひいては586とかずいさんは、「バトル」というイベントに対する考え方が根本的に違っているんですよ。この「違い」を説明するために、「Enable」の未公開の部分を、ちょっとだけ手直ししたものを載せてみます。

バトルフィールドには、イシツブテが造りだした岩が、まるで何かの前衛芸術のように、無造作に突き刺さっている。その数、すでに十一個。岩が落ちてくれば落ちてくるほど、ピジョンの飛行コースも制限されてくる。ピジョンは岩の間をどうにかすり抜けながら、さらに降り注ぐ岩にも対処せねばならなかった。ピジョン疲労は、どんどん蓄積されてゆく。

では、「フルスピード!」だとどうなるのか?またまた、引用させていただきます。

……動き続けるフェザントの進行方向、少しだけ先に狙いを定めたゲンガーを、ナギはさすが、及第点と空中で評した。
しかしこの天井に近い位置、すぐ足の届く場所に、柱と共に塔を支える太い梁が、縦横に張り巡らされている。
その内の一本を後ろ足で蹴り飛ばし、念波の軌道と交わる前に、フェザントは強引に方向を転換した。
「!? ……な……!」
「はずれっ。それ、火の粉!!」
ナギのからかうような声の後に、宙からゲンガーを襲う火球の雨が続く。
フェザントはそのまま次々に足場を跳び移り、主人を背に乗せたまま、軽やかに自在に、空中で軌道を変えた。
……そして最後に、その跳躍に翻弄されて動けないでいたウプシロンの頭上に、垂直に降りた。

なんとなく分かるとは思うのですが、私が感じた「違い」というものは、こういうものだと思うのです。

「Enable」 / 586

「大局的」「事後的」「静的」「ナレーションと登場人物の距離が遠い」「見せたいものは『状況』」

「フルスピード!」 / かずいさん

「細かい」「リアルタイム」「動的」「ナレーションと登場人物の距離が近い」「見せたいものは『様子』」

もっと端的に言うと、「Enable」が「どうなったか」を中心において描いているのに対し、「フルスピード!」は「どうなっているのか」を中心にしているのではないか、ということです。

えー、コレに関しても敗北宣言させてください。正直に吐くと、バトルシーンは正直めちゃくちゃ苦手なんです。状況説明だとか個人の心理状態の描写ならともかく、バトルシーンは矛盾しないようにちまちま書くのがやっとの状態なので、とにかく精進して行きたいです。

総括

人間は壁を越えてゆく生き物です。壁を越えることで、どんどん強くなっていきます。しかし、目の前に大きな壁がないと安心してしまい、そこで壁を越えるのを止めてしまいます。今、586の目の前には「フルスピード!」というチョモランマクラスの壁があります。壁を越えるとか言う前に壁があるということをちゃんと直視できるよう精進します。

長文失礼しました。