「Enable」における「英雄」というテーマ

霧島さんかずいさんが書いてらっしゃることの中に、「英雄」というキーワードがあります。「英雄」。非常に重みがある言葉です。大多数のキャラクターが未登場の中で、ネタバレせずに話を進めるのはなかなか骨の折れる作業なのですが、頑張って私も一つ「Enable」における「英雄」論を書いてみようと思います。

「Enable」における「英雄」は誰か。あまり細かいことは言えませんが、英雄は二人います。まず、二人に共通していることは、どちらも英雄になりたくてなったわけではなく、気がついたらなっていたということです。これはまあよくある設定ですし、よくよく考えてみると英雄になりたくてなったという過去を持っているキャラクターのほうが少ないので、それほど気にすることではありません。

では、二人の違いは何か。まず、一人が「英雄である」という立場にただならぬプレッシャーと苦しみを感じていたのに対し、もう一人は自分が「英雄である」こと自体に気付いていなかったということです。

もう一つ、彼らの間には違いがあります。「英雄である」ことに苦しみを感じていた方は、「50:50の英雄」だったのに対し、「英雄である」こと自体に気付いていなかった方は、「100:0の英雄」でした。

「50:50の英雄」は私の造語で、平たく言えば「確かに英雄的立場におり、尊敬を集めてはいるが、同時にネガティブな感情も同じぐらい集めている」という立場にいる人です。

対する「100:0の英雄」は、「誰から見てもネガティブな感情を抱きようのない」という立場にいる人です。もっと言うと、ネガティブな感情を抱くこと自体ができない / しても意味がないとも言えます。

人間関係のネタバレになるのですが、この際ですからあえて言ってしまいます。「100:0の英雄」は、「50:50の英雄」をとても尊敬しています。「100:0の英雄」は「50:50の英雄」こそが「真の英雄」だと信じており、対する「50:50の英雄」は、そんな「100:0の英雄」の期待を裏切るまいと必死に頑張る。そんな構図です。

物語の終わりの方、「100:0の英雄」の「50:50の英雄」に対する思いが物語を大きく動かすのですが、これ以上書くと盛大なネタバレになってしまうので止めておきます。

「Enable」における「英雄」論は、他とは少しばかりタッチが違うかもしれません。こういう言い方しかできないのが、歯がゆくて仕方ないです。

うーむ、どうにもまどろっこしいです。読んでいる人はもっとまどろっこしいんだろうなあと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。来年四月ごろには物語が完成し、晴れて盛大に「Enable」について語れる日が来ると思っていますので、それまでどうかお待ちください。

上手くまとまりませんでしたが、以上です。